須賀屋旅館は、明治中期創業、150年以上の歴史のある旅館、有名人も多くお泊まりいただいております。
そんな長い歴史の中で生まれた、須賀屋旅館トリビアをご紹介いたします。
須賀屋旅館の祖先
イワシ漁の網を考案した漁業家
三代芳松
(みよよしまつ)
1874年-1939年 明治-昭和時代前期の漁業家。茨城県久慈村(現日立市)の網元。当館館主とは遠縁にあたります。
1919年(大正8年)45歳の時に、製紙工場の巻紙機械からヒントを得て、機械底曳網の綱巻上機械を発明しました。さらに大正15年には、改良鰯揚網(あぐり)網漁を考え、これまで人力であげていた作業の機械化で、鰯の漁獲高が爆発的に増えました。
山縣熊之介、小澤粂八、三代芳松の三氏が漁業功労者として顕彰。芳松の銅像、功労碑は久慈漁港入り口にあります。また、共に功労者である、桝本吉松と桝本寅市の報徳碑も隣にあります。
愛称は「ブルースの女王」
淡谷のり子と久慈浜音頭
1907年 - 1999年 日本のシャンソン界のパイオニアであり、愛称は「ブルースの女王」。
1930年(昭和5年)にポリドールから『久慈浜音頭』で歌手デビュー。『久慈浜音頭』の3番の歌詞に、須賀屋旅館のことが歌われています。
日本コロムビアへ移籍後は、『別れのブルース』、『雨のブルース』などが大ヒットしました。第二次大戦中は、歌手として慰問活動を積極的に行っていたそうです。
1971年(昭和46年)に第13回日本レコード大賞特別賞、1972年(昭和47年)に紫綬褒章などを受賞しています。